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潮干狩
歌川豊国(三代目)画 『魚づくし』組本社刊
 潮干狩は旧暦3月から4月(現在の4月から5月頃)の江戸市民の行楽として、錦絵にもよく描かれており、NO.32NO.82NO.108でも紹介しています。それらの絵は潮干狩を楽しむ多勢の人々がいる海岸の風景でしたが、上の絵では多勢の人々は小さく遠景となり、2人の女性が大きく描かれて、2人の持つ棒に吊(つる)された貝を入れた籠と真蛸(まだこ)がまず目に入る独特の構図です。場所は地形などから見て潮干狩の名所の一つ品川の海岸と思われます。
 現在でも東京湾でとれる魚介類の中に真蛸の名がありますから、海が豊饒だった江戸時代には潮干狩でも真蛸がとれたのでしょうか。蛸類には真蛸・水蛸・飯蛸(いいだこ)などがあり、現在消費量の80%は真蛸で、市場で流通している真蛸の70%以上がアフリカ北西岸沖でとれたアフリカ産真蛸だそうです。
 日本では古くから蛸は食用にされていますが、外国ではメキシコ・イタリア・スペイン・ギリシャなど以外では、蛸の姿が不気味なところからデビル・フィッシュ(悪魔の魚)と呼ばれて食用の習慣はないといいます。
 『本朝食鑑』(1697)には大蛸について「八・九尺から一・二丈に及ぶものがあり、長足で人を巻き取り、海中に引き入れて食べてしまう」とあり、『日本山海名産図会』(1799)には「越中富士滑(なめ)り川の大蛸は牛馬を取喰い、漁舟を覆して人を取れり」とあり、江戸時代には巨大な蛸がいたようです。なお1尺は30.3cm、1丈は10尺で3.03mです。
 一方で蛸の料理には、桜飯、桜煎(さくらいり)と美しい名がついています。桜飯はゆでた蛸の足を薄く小口切りにし、炊き上がる直前の飯に混ぜ、かけ汁をかけ薬味を添えて食べます。桜煎は同様に小口切りにした蛸を調味液で煮たもので、両方とも煮上がりの蛸の形と色が桜の花びらに似ているところからの名といいます。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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