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 潮干狩 寛政(1789−1801)ごろ
 鳥文斎栄之
(ちょうぶんさい えいし)画 「たばこと塩の博物館」所蔵
 雛祭(ひなまつり)は3月3日ですが、旧暦では今年は4月4日に当たります。旧暦の雛祭前後は大潮で、各地の海潮は大きく引いて干潟が広がり、江戸の人々も潮干狩を楽しみました。
 雛祭の起源の一つに水辺での祓
(はらい)の行事がありますが、現在でも雛祭の日には、海辺で貝を拾ったりして遊ぶ磯遊びの風習が残っている地方もあります。雛祭の食べ物として蛤(はまぐり)などの貝類があることから、雛祭、大潮、磯遊び、潮干狩と関連づけることも出来そうです。
 上の錦絵を見ると、潮干狩の収穫は多いようで、右端では七輪に鍋をかけて貝の料理をしています。当時はどんな貝が取れたのでしょうか。
 
『諸国名物往来』(1727)などで、武蔵国(現在の東京都・埼玉県・神奈川県の東北部)の名物としてあげられた貝類を見ると、蛤・業平蜆(なりひらしじみ)・深川かきなどがあります。
 『守貞漫稿』(1853)には、江戸の行商人が売る貝には、蛤・あさり・ばか・さるぼうのむき身や、殻つきの殻蛤・殻あさりなどがあり、むき身のかきも安いとあります。また江戸では蜆は殻つきで、むき身はないと書いています。
 当時は貝類は安く、中でも蜆とあさりは安価で、江戸の町の路地には早朝からしじみ売りの声がひびき、また『東海道中膝栗毛』の弥次喜多が、神田の裏長屋で暮らしていたころの惣菜は、納豆やあさりのむき身を入れたおからの汁だったとあり、江戸の庶民にとって貝類は手ごろな動物性たん白質の給源だったようです。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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