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東都三十六景 洲ざき汐干狩
歌川広重画 国立国会図書館所蔵
 
 江戸の潮干狩の名所には、深川の洲崎のほか、佃島、芝浦などがあり、はまぐり、あさり、しじみなどが採れました。上方(かみがた)では、住吉や堺が有名でしたが、江戸と上方では採れる貝の種類に違いがあったようです。
 
 大阪市文化財協会が、1986〜95年度にかけて行った大坂城下町跡の発掘調査報告書II(2004年9月刊)によると、江戸初期から18世紀前半までの出土貝類は、僅かな出土数のものも含めて52種あり、最も多いのははまぐり、次がしじみ類で、あさりはごく稀にしか出土していません。
 江戸時代に大坂地方であさりが採れなかったことについては、次のような記録があります。
 『和漢三才図会』(1712)には「あさりは各地どこにでもいるが、摂州(摂津国・現在の大阪府の一部と兵庫県の一部)、泉州(和泉国・大阪府南部)、播州(播磨国・兵庫県西南部)には稀にしかいない」。
 『年中番菜録』(1849)にはあさりについて「大坂にはまれなり。播磨辺より来る味よし。大ていはまぐり同やうにて風雅なるものなり。紀州よりきたるは味うすし」。
 安政から文久年間(1856−1863)にかけての大坂の風俗を記した『浪華
(なにわ)の風』には貝類の記述のなかに「あさり、ばか(ばか貝)のむき身などいうもの絶てなし」
 『守貞謾稿』(1853)巻の六には、京坂には「蛤はこれあり、あさり、ばか、さるぼうこれなし。鳥貝、赤貝等、三都これあり」
 なお、前出の報告書によると、明治時代中頃の大阪府の漁獲高統計にもあさりは見られず、記録に残らない程度の量であったらしいとあります。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
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