バックナンバーへ
戻る
十二ヶ月の内四月 ほととぎす かつほ
溪斎英泉
画 国立国会図書館所蔵
 江戸の4月(現在の5月ごろ)といえば初鰹の季節、溪斎英泉には上の絵のほかにも「浮世美人十二箇月 四月郭公初鰹」があり、NO.12で紹介した歌川豊国(三代)の「十二月の内 卯月 初時鳥」も初鰹を描いています。
 江戸での初鰹の人気は元禄ごろに始まり、熱狂的だったのは、明和、安永、天明、寛政の18世紀後半だったようです。
 川柳集の『柳多留』にも初鰹を題材にしたものが多く、「春のすへ銭へからしをつけて喰い」(安永年間)、「初の字が五百鰹が五百なり」(安永4年)、「初鰹玄関ふまぬ残念さ」(天明6年)などは、その高価なことへの嘆息です。
 生鰹はいたみやすく、鮮度が落ちると値段も安くなり、「今くへばよしと肴屋置いてゆき」(明和5年)、「おちぶれるものは鰹の値段なり」(安永5年)、「はづかしさ医者へ鰹の直
(ね)が知れる」(安永4年)などがあります。
 上方(かみがた)にはない江戸での初鰹人気について、宮下章先生の『鰹節』(2000年)では、その理由を次のように考察しています。(1)寒さから解放された陽春の季節が、南方洋上から北上して相模湾に入ってきた鰹の脂ののった旬の時期と一致したこと。(2)江戸初期から初めてとれた鰹は江戸城へ献上するしきたりがあり、将軍様の初鰹としてお膝元の江戸で人気があった。(3)18世紀後半は泰平の世となり、庶民の食生活も安定して、初物を喜ぶ余裕があったことなどをあげています。
 『守貞謾稿』(1853)には「四月朔日以後、初漁の松魚(かつお)を、江戸にては特にこれを賞す、目して初松魚といひ、あるひは鰹の字を用ふ」とあります。松魚と書く理由はよくわかりませんが、かつお節にすると松の根に似て堅く紅色になり、松は縁起がよいところからではないかといわれています。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
掲載情報の著作権は歌舞伎座に帰属しますので、無断転用を禁止します。
Copyright(C) 2008 松下幸子・歌舞伎座事業株式会社