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12月の内 卯月:初時鳥
歌川豊国(三世)画
財団法人 味の素食の文化センター所蔵
中央に鰹をおろす女性、右手の一人は酒樽から片口へ酒を注いでおり、
左手の窓の外には時鳥の飛ぶのが見えます。
 初鰹の出始めは、寛文5年(1665)の幕府の魚鳥野菜の出回り時期の定めでは4月(新暦では5月)でした。この季節は新緑が美しく、山では時鳥(ほととぎす)の初音がきかれ、江戸中期の俳人山口素堂の「目には青葉山ほととぎす初鰹」の有名な句があります。
 
 江戸時代の魚の格付けでは、鰹は上魚ではなく中魚でしたが、江戸の人々は初鰹を珍重し、幕府の定めより以前に闇ルートで入手する初鰹は高値で取り引きされました。
 とくに明和・安永のころ(1764〜81)から文化・文政のころ(1804〜30)には、初鰹志向が熱狂的で、驚くような高値でした。
 文化9年(1812)3月25日に日本橋魚河岸へ初鰹が17本入荷した時は、6本は将軍家お買上げ、3本は2両1分で八百善が買い、8本は魚屋へわたり、その中の1本を中村歌右衛門が3両で買い、大部屋の役者に振舞ったと、蜀山人が書いているそうです。
 初鰹の値段は、はしりの時期を過ぎると日ごとに下がり、2分、1分くらいになると一般の人たちも何とか手が出せるようになりますが、「初鰹女房に小一年(こいちねん)いわれ」(柳多留)の句のように家計にひびく出費だったようです。
 初鰹の料理は刺身で、薬味にはおもに辛子が使われました。絵島生島事件(1714)で三宅島へ流された生島新五郎が、江戸の市川團十郎(二世)へ「初かつお辛子がなくて涙かな」の句を書き送ったという話もあります。
注 1)  およその換算で1両は現在の9万円、1分は2万3千円くらいに当たります。
注 2)  蜀山人は大田南畝(なんぽ1749−1823)、幕臣でしたが文人として知られています。
注 3)  柳多留(やなぎたる)は江戸中期刊の川柳集。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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