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月岡芳年(1839−1892)は歌川国芳の門人で、幕末から明治にかけての浮世絵師です。
右上の字は「天保年間深川かるこ(軽子)の風ぞく」と読めます。軽子は深川の岡場所で座敷へ酒肴を運ぶ女のことで、膳の上には煮物らしい大鉢と、熊笹を添えた刺身の大皿が見えます。
 風俗三十二相 おもたさう
 月岡芳年画 明治21年(1888)
 財団法人味の素食の文化センター所蔵
 江戸の川柳に「井戸端で見せびらかして刺身をし」というのがあります。長屋の井戸端で、無理をして買った初鰹を刺身にしている得意顔が目に浮かぶようです。
 
 刺身は代表的な日本料理ですが、もとは膾(なます)の一種として室町時代に始まったものです。膾は獣肉や魚介類を細く刻んで、生のまま酢を加えて食べたものですが、膾よりも厚く切って調味料をつけて食べるものを刺身というようになりました。江戸時代には“さしみ”は指身、指味、差味、差躬などとも書いています。
 刺身につける調味料は、室町時代には、わさび酢、生姜酢、たで酢などの調味酢が使われました。江戸時代には調味酢のほか煎酒(いりざけ)がよく用いられていました。煎酒は酒に削り鰹節と梅干を入れて煮詰め漉して作るのが基本の調味料で、江戸後期に醤油が普及するまでは、刺身や膾などの料理には欠かせないものでした。
 『守貞漫稿』(1853)の“生業の部”にはいろいろな職業があげられていますが、その一つに「刺身屋」があります。売っているのはおもに鰹と鮪の刺身で、料理屋のものより品質は劣るが、値段が安いのでよく売れていると書いています。江戸には煮しめなどを売る「菜屋(さいや)」もあったとありますし、現在中食(なかしょく)とよばれる既製品惣菜の利用も、江戸の食生活の特色だったようです。
注) なますは、古代は獣肉がおもな材料だったので膾と書き、魚介類が主になってから鱠とも書くようになりました。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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