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役者十二つき 八月十二だん 月見の図
歌川豊国(初代)画 国立国会図書館所蔵
役者は右から胡弓が二代目澤村田之助、琴が三代目坂東三津五郎、煙管
(きせる)を持つ三代目尾上菊五郎、三味線が五代目岩井半四郎、その後が初代市川男女蔵、手前の黒羽織が四代目澤村宗十郎
 
 上の絵には月見の図とあり、風流な月見の宴が描かれています。庭には萩の花が咲き乱れ、屏風の前には料理をのせた膳があり、銚子と盃もあって酒宴の準備が整っています。料理は大鉢に盛られて取り分け用の小皿と箸も見えます。
 右の方から胡弓、琴(箏)、三味線を弾く人がいて合奏を楽しんでいます。古くは琴、三味線、胡弓の合奏を三曲とよびましたが、幕末頃から胡弓の代りに尺八が用いられるようになったといいます。
 
 
 旧暦8月15日の月見は、平安時代の延喜9年(909)に、宮中で行われた中国伝来の仲秋節が始まりで、当時は詩歌管絃の催しのみで、供物をする例はなかったといいます。
 江戸時代に民間で月見が盛んになり、里芋や団子を供え、すすきや秋草を飾るようになりました。上の絵のように三曲を楽しむ月見が、本来の風流な月見ともいえます。

 
 また、萩は江戸の人々に好まれて、寺院や神社には境内に萩を植えた所が多かったようです。『江戸名所花暦』(1827)には萩の名所として亀戸の慈雲山竜眼寺(りょうがんじ)と、浅草人丸明神境内をあげています。
 萩は万葉の時代から日本人に愛され、秋の七草も山上憶良の歌に始まるもので「ハギ・オバナ(ススキ)・クズ・ナデシコ・オミナエシ・フジバカマ・キキョウ」と萩は筆頭にあげられています。

 『江戸名所花暦』は、月の名所として三派(みつまた)、浅草川、武蔵野、玉川(多摩川)、品川をあげています。三派は日本橋箱崎町の隅田川が三派に分流するあたり、浅草川は隅田川の下流で、ともに船をうかべての月見でした。また品川は、高輪の辺からの海上の見晴しが絶景であったといいます。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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