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江戸名所百人美女 浅草寺
歌川豊国(三代)・歌川国久画 安政4年(1857) 国立国会図書館所蔵
 浅草の観音様は、現在も参詣人で賑わっていますが、江戸時代には信仰の霊場として、また観音堂西側の奥山は、見世物などの娯楽の場として庶民に親しまれていました。
 『江戸名所図会』(1836)にも、金龍山浅草寺は挿絵も多く詳述されています。その中に広い境内に並ぶ茶店の絵があり、次のような文章が添えられています。

 「二十軒茶屋は歌仙茶屋ともいへり。昔はこの所の茶店には御福の茶まいれとて、参詣の人を呼びたるとぞ。今はその家のかず二十余軒ある故に、俗是をよんで二十軒茶屋といひならわせり。」

 二十軒茶屋は、浅草寺境内(現在の仲店の中程)にあった茶屋の総称で、20軒並んでいたからの名といいます。寛文(1661−73)以前からあったといわれ、もとは36軒の茶店があったので、三十六歌仙にちなんで歌仙茶屋と呼ばれ、享保初め頃(1716年頃)20軒になり、天保以降は10軒になりましたが、名称は二十軒茶屋のまま明治18年まで続いたそうです。
 上の絵には「江戸名所百人美女」とあり、左上には浅草寺とあるので、二十軒茶屋の一つと思われます。茶店は始め参詣人の休憩のために設けられましたが、浅草寺講中の集会所にもなり、奥の方に座敷も設けられて、酒肴も供するようになりました。また場所が吉原に近いため遊客も多く、美服の美女が茶の接待をして高額の茶代をとっていたそうです。
 安永年間(1772−81)の川柳に「二十けん四つより前はなみの茶や」「四つ前は老(おい)にけらしな二十けん」などがあり、四つ(現在の午前10時頃)までは美女はいないで、茶の接待は老女だったのでしょうか。また「二十軒一度笑めば百とれる」「いちどきに百宛笑ふいい女」という句もあり、茶代は百文(現在の約1500円)くらいだったようです。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
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