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百川繁栄図
五渡亭国貞(のちの三代豊国) 文政8年(1825) 個人蔵
 卓袱(しっぽく)料理は卓子(しっぽく)料理とも書き、唐料理とも呼ばれた、江戸時代に中国から伝わって日本化された中国料理です。卓袱は食卓にかける布の意味で、転じて食卓を指し、卓袱台(食卓)にのせて供する料理を卓袱料理と呼びました。
 精進(動物性食品を使わない)の卓袱料理は普茶
(ふちや)料理と呼び、禅寺などでは現在も行なわれています。
 『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』(1830)の中に「京師(京都)祗園の下河原に佐野屋嘉兵衛といふ者、享保年中長崎より上京して、初めて大椀十二の食卓(卓袱料理)をし弘めける。これ京師・難波にて食卓の始とかや。」「江戸にも処々に出つらめど行はれず。浮世小路(うきよしょうじ)の百川(ももかわ)茂左衛門なども、初め食卓料理したるなり。」とあります。
 長崎には元禄2年(1689)に唐人屋敷が完成しており、唐風の異国料理はその頃から作られていたらしく、卓袱料理も長崎に始まり、京坂や江戸にも伝えられました。
 日本橋浮世小路の料理屋百川が出来たのは明和・安永(1764−81)の頃といわれています。天明(1781−87)の頃には名の知られた卓袱料理屋となり、文化・文政(1804−30)頃には高級店として繁盛しました。上の絵は文政期の百川で、左端の女性が運ぶ料理も大皿盛りで卓袱料理の特色を示しています。卓袱料理は普通4人で卓袱台1脚をかこみ、料理は小菜8品、大菜12品というように偶数で供します。一つの器から各自で小皿に取り分けて食べる食べ方が珍しがられたらしく、料理は豚肉などは使わない日本風の料理でした。
 嘉永年間の百川の1人分の食事代金は、上が200疋、中が150疋、下が100疋だったそうで、100疋は1,000文、現在の金額でおよそ10,000円に相当します。

 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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