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善悪三拾六美人 笠森お仙
豊原国周画
 国立国会図書館所蔵
 谷中笠森稲荷の水茶屋のかぎ屋お仙は、浅草寺内楊子(ようじ)屋の柳屋お藤、二十軒茶屋の蔦屋およしとともに、明和の江戸三美人として知られています。お仙の錦絵は多く、鈴木春信、一筆斎文調、喜多川歌麿などが描いていますが、多くは楚楚(そそ)とした美人で、上の絵のような頽廃(たいはい)的な感じとは違っています。上の枠内の文章が判読しにくいので、「善悪三拾六美人」の題とともに気になります。
 笠森お仙は『国史大辞典』の項目にもあり、鳶魚江戸文庫(中公文庫)の中にも「笠森稲荷及びお仙茶屋」として詳述されています。お仙は宝暦元年(1751)に生まれた百姓の娘で、13歳ぐらいから笠森稲荷の水茶屋で働いていましたが美人なので評判になり、明和5年(1768)には芝居にもなる人気でしたが、明和7年20歳の時に御家人倉地政之助の妻になり、かぎ屋からは姿を消しました。
 水茶屋は、路傍や寺社の境内などで、湯茶を飲ませて往来の人を休息させた店で、茶見世(茶店)ともいいます。『守貞謾稿』(1853)は、京坂(京都・大坂)と江戸の茶見世を比較して要約次のように書いています。「京坂の茶見世には粗末な服装の老婦か中年婦がいて、朝に1度茶を煮出して終日これを用いる。客1人に1椀だけ出し、茶代は5文から10文くらいである。江戸には茶見世が多く、天保の改革以前には16、7から20歳ばかりの美女が化粧をして美服で給仕をした。茶は毎客新しく茶を煮ることもあるが、多くは小ざるの中に茶を入れて熱湯をかける漉茶(こしちゃ)である。 客1人に2,3椀は出し、茶代は30文から50文くらいで、100文出す人もいる」

 絵の中のお仙は右手に茶漉を持っており、中には茶葉が見えるので漉茶のようです。なお1文は現代の貨幣で約10円ですから100文は約1000円になります。

 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
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