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江戸自慢三十六興 向嶋堤の花とさくら餅
川豊国(三代目)、歌川広重(二代目) 元治元年(1864) 国立国会図書館所蔵
 花といえば桜、向島の隅田川沿いの堤は、天保(1830−44)のころから、江戸第一の桜の名所になりました。桜餅は、この隅田川堤に近い長命寺の門番が、落葉掃除をしながら思いつき、享保2年(1717)に長命寺境内に山本屋を創業して、塩漬けにした桜の葉の香りをいかした桜餅を売り出したのが始まりで、江戸の名物になりました。
 桜餅のあんを包む皮の材料は、粳米粉、葛粉、小麦粉と、時代によって変化したようですが、現在は関東と関西で違いがあります。
 関東の桜餅は、小麦粉を水ときして焼鍋で薄く焼いたものであんをくるみ、塩漬けの桜の葉で巻いたもの。関西の桜餅は道明寺種(糯米の干飯を適宜の大きさに挽き割ったもの)で作った柔らかい餅であんをくるみ、塩漬けの桜の葉で巻いたものです。

 上の絵では、2人の女性が両端を持った棒に「さくら餅」と張り紙のある籠を二つ提げています。この籠は烏帽子籠(えぼしかご)と呼ばれ、烏帽子の形をして手で提げられるように作られた竹籠です。当時は桜餅を竹の皮で包んで烏帽子籠に入れて持ち歩いていたようです。
 また「柳多留」には「遠乗りの小附は籠の桜餅」という句もあります。小附
(こづけ)は荷物の上につけた小さい荷物のことです。
 『日本国語大辞典』で桜餅の項を見ると、(一)として前述の和菓子の桜餅の記述があり、(二)として歌舞伎脚本「都鳥廓白浪(みやこどりながれのしらなみ)」の俗称とあります。
 『歌舞伎名作事典』で調べると、「都鳥廓白浪」は通称「忍ぶの惣太」といい、惣太が向島で桜餅屋をしていたところから、もう一つの通称を「桜餅」というとありました。作者の河竹黙阿弥も、桜餅が好きだったのでしょうか。

 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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