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夕涼花火賑
歌川国周画 明治3年(1870) 国立国会図書館所蔵
 前回と同じく、両国橋の夕涼みと花火の絵ですが、花火よりも粋な3人の役者に見とれてしまいます。それぞれに名が書かれていて、明治3年(1870)の絵なので、左から五代目尾上菊五郎、四代目中村芝翫、二代目澤村訥升です。
 『歌舞伎事典』(1983)を見ると、菊五郎は「見事な容姿」、芝翫は「錦絵のような立派な顔」と書かれていますから、美男振りはあながち誇張ではないようです。

 
 菊五郎は白玉売りの姿で描かれていますが、白玉売りについて『守貞謾稿』(1853)には次のようにあります。
 「白玉は、寒晒粉(白玉粉)を水をもってこれを練り、これを丸めて湯烹
(ゆに)にしたるをいふ。白糖をかけてこれを食す。あるひは冷水にこれを加ふ。また汁粉にもこれを加ふといへども、路上売りは冷水に用ふるを専らとして、夏月にこれを売る。」
 
 白玉は白砂糖をかけたり、汁粉に入れたりしても売るが、夏に路上で売る場合は冷水に入れて売るとしています。
 『守貞謾稿』には、冷水
(ひやみず)売りの項に「夏月、清冷の泉を汲み、白糖と寒晒粉の団(団子)を加へ、一椀四文に売る。求めに応じて八文・十二文にも売るは、糖を多く加ふなり。」とあり、冷水に白玉を入れて売る白玉売りは、冷水売りともよばれていたようです。なお、京坂(京都・大坂)では、冷水に白玉団子を入れず、白砂糖のみを加えて、冷水売りといわず、砂糖水屋とよぶとあります。
 
 『東京風俗志』(明治34年)によると、維新後も7月中旬に両国の川開きはあるが、花火見物が主になって、花火が終わると群集は大部分帰ってしまい、維新前のように花火が終わっても夕涼みを楽しむことがなくなったとあり、江戸の風情をなつかしんでいます。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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