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「山くじら」は猪の肉、また一般に獣肉の異名で、獣肉屋の看板には「山くじら」または「ももんじ屋」とありました。
 江戸後期の獣肉屋の店先
 絵 飯田洋一
 

  『宴遊日記別録』の食事記録の中で意外に思われたことは、料理の材料に魚のほか肉がよく使われていることでした。鳥では当時鴨が好まれ、献立にも鴨肉はあるので、肉は鳥肉ではなく獣肉と考えられます。

 肉を使った料理は煮物に多く、「肉・筍・麸(ふ)・もやし」 「肉・くわい・麸・芹(せり)」 「肉・塩松茸・長芋・麸・芹」 「摺肉・長芋・麸・岩茸・三つ葉」 「切肉・あわび・芹」など35回もあります。
 そのほか汁や焼物にも使われていて、肉とあるほか摺肉、摘肉、切肉、焼肉などと書かれていますが、何の肉なのかはわかりません。

 江戸時代には表向きは獣肉食が忌避されていましたが、実際にはかなり行われていたらしく、『名産諸色往来(めいさんしょしきおうらい)』(1760)には、江戸の糀(麹)町の獣店(けものだな)で猪・鹿・狐・狼・熊・獺(かわうそ)・鼬(いたち)・猫・山犬などを売っているとあります。
 『江戸繁昌記』(1832)の「山鯨」の項にも、この店の繁昌が記されています。

 江戸中期の「公厨食禁(こうちゅうしょくきん)」には、四足の肉也と注をつけたあぶり肉や牛肉の名があり、彦根藩主から将軍への牛肉味噌漬の献上が恒例になっていたことはよく知られています。また一般にも病人の薬喰いと称して牛肉食はあったようです。
 このように江戸時代にも牛肉食は行われており、また現在は猪肉や鹿肉は入手しにくいこともあり、次回からの芝居茶屋の料理の再現にあたっては、肉とあるものは牛肉を使用することにしました。

注)
「公厨食禁」は国立公文書館所蔵の宮崎成身編著による『視聴草(みさきぐさ)』の中にあります。「公厨食禁」には江戸城大奥御膳所と表御台所での合食禁《食べ合わせ》、同時忌物《一定の時間をおく必要のあるもの》、月食禁《季節によって食べてはいけないもの》の具体例があり、同時忌物の中に「枇杷(びわ)とあぶり肉」「蜜と牛肉」「ひともじ(葱)と牛肉」がみられます。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール


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