バックナンバーへ
戻る
大工上棟之図 
香蝶楼国貞(三代目歌川豊国)画 国立国会図書館所蔵
 
 木造建築が少なくなったこの頃では、棟上(むねあげ)の風習を知らない人も多くなりましたが、戦前の昭和時代には、棟上に餅を撒く光景はよく見られたものでした。
 棟上は、建前
(たてまえ)とも上棟(じょうとう)とも呼び、家を建てる時、骨組が出来て屋根の一番高い所に棟木(むなぎ)を上げるのを祝う儀式です。
 
 上の絵に見られるように、江戸時代の上棟式では棟木に御幣(ごへい)、麻苧(あさお)、また板製の鏑矢(かぶらや)【注1】・雁股矢(かりまたや)【注2】などを、鏡餅や酒とともに供えます。大工は烏帽子(えぼし)直垂(ひたたれ)で正装し、天地四方の神に拝礼してから木槌で棟木を打ち、餅や銭をまいてから酒宴に入ります。
 絵の左右の端に、小さい丸餅をまく人々と拾う人が見えます。
 江戸時代には、おめでたいことがあると餅を搗いて祝う風習があり、棟上の祝にも餅は付き物でした。撒餅を拾うのは子供たちだったようで、次のような川柳があります。
「汚れない餅を五軒の子は貰い」
新築の家の向う三軒両隣には餅が配られるので、その家の子は撒餅でない餅が貰える。
「棟上の餅によごれぬそだてやう」
棟上の撒餅などは拾わないように、良家の子供は育てられている。
「棟上のあらそうふ餅を子守取り」
餅を拾うのは子供たちなので、幼児を背負った年長の子守にはかなわない。
注1) 矢の一種で、矢の先に鏑をつけてその先にやじりをつけたもの。射ると鏑の穴から空気が入り大きな音がする。
注2) やじりの先を二股にし、その内側に刃をつけたもの。飛ぶ鳥や走る獣の足を射切るのに用いる。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
掲載情報の著作権は歌舞伎座に帰属しますので、無断転用を禁止します。
Copyright(C) 2004 松下幸子・歌舞伎座事業株式会社