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木曽街道六十九次の内 関ヶ原
歌川広重画 国立国会図書館所蔵
 関ヶ原は慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦の古戦場として知られている、現在の岐阜県不破郡関ヶ原町です。東西に木曽街道(中山道)が通り、北国街道・伊勢街道が南北に通る交通の要所でした。上の絵にも茶店で休む旅人や、馬を引いて客を待つ馬子などが描かれています。茶店には草鞋(わらじ)らしいものも見えますが、「名ぶつさとうもち」「三五そばきり うんどん」の看板もあります。
 砂糖餅は、江戸時代の菓子製法書には見当たらず、茶店などで売っていた庶民的な菓子のようです。『東海道中膝栗毛』の中にも、岡崎と池鯉鮒(ちりう)の間の今村という立場(たてば)の茶店に、名物の砂糖餅と鶉焼(うずらやき)があり、両方とも1個3文です。砂糖餅は丸い餅としていますから、砂糖入りの甘い丸い餅だったようです。
 三五そばきり・うんどんとあるのは、二八そばと同様に価格を表すものと思われます。二八そばは、そば粉とつなぎの小麦粉の使用割合とする説もありますが、二六うどんの看板も見られ、うどんにはつなぎは用いないので、二八は16文、二六は12文と考えるのが妥当です。茶店の看板の三五も15文と考えられます。
 江戸時代から平成の現代へ話が飛びますが、平成5年12月27日付けの毎日新聞に「雑煮もち勢力図、天下分け目の関ヶ原」という記事があります。雑煮は東日本では角餅で清汁仕立、西日本は丸餅で近畿を中心にみそ仕立という傾向があり、これは江戸時代からのものです。平成5年の年末に毎日新聞の記者が、旧中仙道沿いの関ヶ原町と滋賀県山東町の家々で聞きとり調査した結果、関ヶ原が角餅と丸餅の境界線になっているということでした。雑煮の特色は家族の出身地などにもよりますが、おもしろい調査だと思います。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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