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江戸名所百人美女 日ぐらしの里
歌川豊国
(三代目)、歌川国久画 安政4年(1857) 国立国会図書館所蔵
 上の絵は豊国(三代目)の「江戸名所百人美女」シリーズの1枚で、左上の枠内の日ぐらしの里の風景は国久が描いています。日ぐらしの里は現在の荒川区日暮里です。古くは新堀(にっぽり)と書き、新堀の美しい景色に見とれて日が暮れるのを忘れてしまうところから日暮らしの里といわれるようになり、新堀と日暮らしの里の字訓をあわせて江戸中期ごろから日暮里と書くようになったといいます。
 広重の「名所江戸百景」シリーズにも「日暮里諏訪の台」として、筑波山を遠望する春の景色が描かれています。江戸時代にはこのあたりの低地はほどんど田地でしたから、諏訪の台、道灌山(現在は西日暮里駅の北西側の台地)と続く台地からは筑波山や日光の山々も見えて、見晴らしのよい名所でした。
 『江戸名所図会』(1836)には、このあたりは寺院が多く、寺院の庭には草木の花が絶えず、酒亭茶店もあって人々で賑わったとあります。
 絵の中央の女性は茶碗を持ち、左端には水桶が見えますから場所は茶店でしょうか。日暮里は雪月花をめでるところで、名物は「道灌山の虫の音」といわれ、食べ物の名物はなかったようです。そこで日暮里に隣接する谷中の生姜(しょうが)をとりあげました。谷中の生姜は練馬大根、小松菜、滝野川牛蒡と並んで江戸の名産野菜でした。
 生姜は日本へは3世紀より前に渡来して主要な野菜として栽培され、薬用としても用いられていました。江戸時代には生姜は針生姜、へぎ生姜、筆生姜などいろいろな切り方で料理に用い、また酢漬などの漬物にも加工されて、現在よりも重要な野菜でした。
 9月11日から21日の江戸の芝神明の祭礼には生薑
(しょうか)売りの店が多く、生薑市とも呼ばれたと『守貞謾稿』(1853)にあります。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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