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十二ケ月の内 六月門涼(かどすずみ)
渓斎英泉画 国立国会図書館所蔵
 
 麦湯は麦茶とも呼び、殻つきのまま煎った大麦をせんじた飲み物で、現在も夏の飲み物として親しまれています。
 麦湯の名は『料理伊呂波庖丁』(1773)にも見られ、煎茶の普及していなかった江戸前期から庶民の飲み物だったようですが、麦湯の店が江戸の街頭の夏の夜の景物となったのは、文政(1818〜30)の頃からといいます。
 
 江戸後期の風俗を記した『江戸府内風俗往来』には、「夏の夜、麦湯店の出る所、江戸市中諸所にありたり。多きは十店以上、少なきは五、六店に下らず。大通りにも一、二店ずつ、他の夜店の間に出でける。横行燈に「麦湯」とかな文字にてかく。また桜に短尺(たんざく)の画をかき、その短尺にかきしもあり。
 行燈の本
(もと)は麦湯の釜・茶碗等あり。その廻りに涼み台を並べたり。紅粉を粧うたる少女湯を汲みて給仕す。」とあります。
 麦湯店には、桜湯、くず湯、あられ湯などもあり、価も安く、家の中の暑苦しさを逃れて涼風を求める客で、夜おそくまで賑わっていました。また当時の江戸の街頭には照明がなく暗かったので、麦湯の行燈が闇をいろどっていたといわれています。

 『日本国語大辞典』を見ると、「麦湯」の次の項目に「麦湯の女」があり、「江戸時代から明治にかけて、道ばたで麦湯を売る店の客を呼ぶ若い女」と解説しています。
 また、『江戸の女』(鳶魚江戸文庫2)には「麦湯の女」の章があり、麦湯店の給仕の娘も、江戸の夏の夜の景物だったようです。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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