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東海道五十三次之内 桑名之図
香蝶楼国貞(三代歌川豊国)画 国立国会図書館所蔵
 
 伊勢(三重県)の桑名は、江戸時代から焼蛤で知られており、「その手は桑名の焼蛤」ということわざは、「その手はくわない」をしゃれていったものです。
 蛤の産地は各地にあり、江戸湾(東京湾)も名産地の一つでした。その中で桑名の蛤が有名なのは、交通の要所だったからともいわれますが、『本朝食鑑』(1697)には、桑名の蛤は上質で味がよいとあります。
 
 上の絵の左手の店には、しぐれ、焼蛤の看板があり、店先では蛤を焼いており、手前の女性の持つ盆の上の深鉢には、焼蛤が盛られています。(右側の小さい絵は、その部分の拡大です)
 『日本山海名産図会』(1799)は、当時の各地の名産を挿絵を添えて紹介していますが、その中に「焼蛤ならびに時雨蛤」の項があり、伊勢の桑名、富田の名産としています。
 要約すると「焼蛤は松笠(松ぼっくり)を焚いて蛤の目番
(めつがい)の方から焼くと、貝柱が残らず味もよい。時雨蛤は、蛤のむき身をざっとゆで、ゆで汁に味噌たまりを合わせ、山椒(さんしょう)、木くらげ、生姜などを加えてむき身を煮詰める」とあります。
 文中の目番は、二枚貝の合わせ目のじんたいのこと。味噌たまりは、みそから取る旨味の強い液で、現在のたまり醤油にあたるものです。
 『東海道中膝栗毛』五編(1811)で、弥次・喜多も桑名と富田の茶屋で焼蛤を食べていますが、「箱にしたいろりのようなものの中へ蛤をならべ、松かさをつかみ込み、あふぎたてて焼く」とあって、大皿に盛って出しており、蛤は現在と比べて安価だったようです。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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