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東都三十六景 増上寺朝霧
歌川広重画 国立国会図書館所蔵
 
 現在、都内芝公園にある増上寺は、慶長3年(1598)から現在地にあり、浄土宗の大本山で、徳川家の菩提所として壮麗な寺院でした。
 増上寺に近い高輪・芝の海岸には東海道が通り、往来する人々で賑わっていました。現在の芝浦は埋め立てによって陸地ですが、江戸時代の芝浦は海で、海岸には漁師が多く住み、芝浦でとれた小魚は芝魚と呼ばれて、江戸庶民に好まれていました。
 
 上の絵を見ると、左の2人の女性は旅姿で、右端には荷をかつぐ飛脚(ひきゃく)がいますから、この道は東海道らしく、朝霧の向うに増上寺が見えています。昔から「朝霧は晴れのしるし」といわれていますから、この日はよく晴れたことでしょう。
 中央には芝浦に近い土地柄からか魚売りがいます。魚売りがかついでいる天秤棒の前の方の半台(桶)には鰹、後の半台には鯛が見えます。
 江戸時代には、品物をかついだり、さげたりして呼び声をたてて売り歩く商人を「ぼてふり(棒手振)」といい、魚売りの場合には江戸では「ぼて」ともいいました。
 京坂(京都・大坂)と江戸では魚売りのかつぐ荷にも違いがあったようで、『守貞謾稿』(1853)には、江戸の魚売りは、もっこ
(注)の上に籠を置き、籠に半台を置き、半台も籠も楕円形であると説明しています。
 また、明和から文政(1764−1830)頃には1尾2、3両(約18万〜27万)だった初鰹も、嘉永(1847−1854)頃には1分2朱(約3万8千円)から2分(約4万5千円)程に値下がりしたと記しています。
注) もっこ・縄であんだ網の四隅に綱をつけたもの
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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