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3枚続きの絵の中央の一枚です。
豆腐を切る人、お盆を持つ人、焼き上がった田楽を運ぶ人がおり、棚には串にさした豆腐と、みそを入れた壷があります。まな板の上の豆腐も切りやすいかたさに見えます。
 豆腐田楽を作る美人
 歌川豊国画 享和頃(1801−1803)
 財団法人味の素食の文化センター所蔵
 
 江戸で眞崎稲荷社の田楽茶屋が繁盛するなど、豆腐田楽は江戸名物の一つでしたが、上方でも豆腐田楽は人気がありました。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも弥次喜多が京都見物で清水坂に行くと、「両側の茶屋軒ごとにあふぎたつる田楽のうちわの音、かまびすしきまでに呼たつる声々」とあります。
 
 このように江戸時代に豆腐田楽が流行したのは、田楽用の豆腐はかたくて、そのまま切って串にさすことが出来たのも理由の一つと考えられます。『豆腐百珍続編』(1783)には藁(わら)で通して持ち運ぶ豆腐もあるとあり、田楽の作り方を見ても、豆腐は水切りなどせずに、そのまま切っています。
 当時は田楽には菜飯を添えるのが流行でした。とくに近江国目川(現在の滋賀県内)の菜飯田楽は東海道の旅人に好評で、各地に目川(女川)菜飯田楽の店ができ、江戸では浅草に多かったといいます。
 豆腐田楽は江戸時代以前からあり、室町中期の文献にも田楽豆腐の名が見られます。また、戦国・桃山時代の笑話の集大成といわれる『醒睡笑』(せいすいしょう・1628)には、比叡山の僧坊の児(ちご)たちが、冬の夜に豆腐を手に入れて田楽をつくり、知恵くらべをして、勝った者から3串、8串と食べる話があります。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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