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絵の人物の惣ろくは「碁太平記白石噺」(ごたいへいきしらいしばなし)に登場する吉原の妓楼大黒屋の主人。当時は甲子の日の晩に大黒講(大黒天信仰の寄り合い)をしたので、甲子屋に大黒屋惣六を配したようです。
 復元「東都高名会席盡」共文社刊  20「甲子屋」
 蔀一義氏所蔵
 
 甲子屋(きのえねや)は隅田川畔の眞崎(まさき)にあった有名な田楽(でんがく)茶屋です。手柄岡持(てがらおかもち)の書いた『後は昔物語』(1803)によると、眞崎稲荷社の周囲に田楽茶屋の出来たのは宝暦6、7年(1756、7)の頃で、甲子屋・川口屋・玉屋・いね屋・きり屋など数軒あったが、甲子屋が一番よいとあります。
 
 『江戸名所図会』(えどめいしょずえ)の眞先稲荷明神社の項には、「この社前は、名にしおう隅田河の流れ、ようようとして昼夜を捨てず。食店(りょうりや)酒やの軒端は河面(かわも)に臨んで、四時の風光を貯ふ」とあります。眞崎稲荷への参拝客のほか、新吉原に近かったことも、このあたりの繁盛の一因だったようです。
 田楽は田楽焼の略称で、豆腐に串をさして、みそを付けて焼いたものが始まりなので、田楽といえば豆腐田楽のことでした。後にこんにゃく、茄子、里芋なども田楽の材料となり、魚の田楽は魚田(ぎょでん)と呼ばれました。田楽の名は、豆腐に串をさした形が、田楽法師(田植の時に田の神をまつる田楽舞の法師)が一本足の竹馬のような高足(たかあし)に乗って踊る姿と似ているところからといわれています。
注) 『江戸名所図会』は、天保5年(1834)と7年刊行の、江戸とその近郊の絵入り地誌。編者は斎藤幸雄・幸孝・幸成の父子三代。すべて実地調査によるので史料的価値があります。眞崎稲荷は眞先稲荷(まっさきいなり)と書かれています。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
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