バックナンバーへ
戻る
初代豊国と豊広は、ともに歌川派創始者豊春の門人。
豊広はあまり知られていませんが、門人に「東海道五十三次」などで有名な歌川広重がいます。
豊国豊広両画十二候 六月
歌川豊広 画
たばこと塩の博物館」所蔵
 
 上の絵は3枚続きの絵の1枚だけで、解釈が難しいのですが、歌川豊広の絵は初めてなのでとり上げてみました。
 
十二候の中の六月とありますが、旧暦の6月は現在の新暦では7月ごろにあたり、夏の盛りです。人物のいる台の下には水の流れがあり、川に張り出した床(ゆか)のように見えます。
 
 床は辞書によると「夏、京都の二条大橋から四条大橋あたりまでの間の賀茂川の流れの上に、茶屋や料理屋などが張り出した板張りの涼み台」とあり、川端の床は旧暦6月の朔日(ついたち)にかけそめたとある文献の例を記しています。
 現在でも京都では洛北の貴船川や賀茂川に、夏になると料理屋の床が設けられ、自然の涼しさの中で川魚料理を味わうことができます。
 床は夏に仮設されるものですが、江戸時代には、京都・大坂では川辺の川魚料理屋を生洲(いけす)と呼んでいました。漁獲した魚を水中で生かしておく装置を生簀(いけす)というので、生洲の名があるのでしょうが、『守貞謾稿』(1853)は生洲について次のように記しています。
 「普通の料理屋とは別にて、鯉のみそ汁、鮒の刺身等河魚を専らとし、また海魚も交へ用ふ。しかれども掛行燈
(かけあんどん)には必ず万川魚(よろずかわうお)と記せり。俗にこれを号して生洲という」
 魚を生かして保存する生簀は、古く平安時代からあったようですが、江戸時代には広く利用されていたようで、『黒白精味集』(1746)には、鯉は利根、忍のものが最上で、浅草川の鯉もよく、生簀があると記されています。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
掲載情報の著作権は歌舞伎座に帰属しますので、無断転用を禁止します。
Copyright(C) 2004 松下幸子・歌舞伎座事業株式会社