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広重が風景を、豊国が人物を描いた合作。
火鉢で抄き海苔を焼く人物の向うの海に、海苔養殖のノリヒビ(木の枝や笹竹を海中に建てて海苔を付け育てるもの)が見えます。
享保2年(1717)ころ品川浦で始まった海苔養殖は天明ころ盛んになり、江戸の名所になりました。

江戸自慢三十六興 品川海苔
歌川広重(二代)、歌川豊国(三代)画 
元治元年(1864)
国立国会図書館所蔵
 
 浅草海苔は江戸の名物として知られていますが、上の絵には品川海苔とあり、二つはどのように違うのでしょうか。
 海苔は海中の岩などに着く苔
(こけ)状の海藻で、生のままでも食べますが、多くは紙のように抄(す)いて、抄き海苔として食用にします。
 『日本山海名物図会』(1754)には、江戸浅草のりについて「此のり元武州品川の海に生ず。品川のりという。浅草のりは品川にて取たるを、此所にて製したる也」とあります。

 
 紙のように抄いた抄き海苔の製造が浅草で始まったのは享保(1716−36)のころで、浅草は観音の門前町だったため浅草海苔は名物となり、その原料の多くは品川でとれた生海苔でした。
 
天明(1781−89)のころになると抄き海苔製造の中心が浅草から品川に移り、品川で製造しても浅草へ運んで売れば浅草海苔、品川で売れば品川海苔と呼ばれるようになりました。
 料理書で海苔料理を探すと、『料理物語』(1643)には、「ひや汁、あぶりざかな」とあります。生海苔を冷やしたみそ汁に入れたり、乾してあぶり酒肴(さかな)にしたようです。
 抄き海苔を使った海苔巻すしは、『献立部類集』(1776)に見られますが、中に入れる具は魚とあり、すだれを使って巻いてから箱に入れて重しをしています。『名飯部類』(1802)には現在とほぼ同様の“紫菜
(のり)まきずし”があります。
 また『豆腐百珍』(1782)には、浅草海苔に摺り豆腐を薄くのばし付けて作る“うなぎとうふ”(精進のうなぎかば焼き)があるなど、天明(1781−89)のころから抄き海苔の料理が多彩になっています。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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