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一陽新玉宴(いちようあらたまのうたげ)
歌川豊国(三世)画 安政2年(1855)
財団法人 味の素食の文化センター所蔵
役者名は右図に四代目坂東三津五郎ほか4名、中図は坂東亀蔵ほか4名、左図は四代目市川小団治ほか4名。
 江戸の元日の歌舞伎について、三田村鳶魚は『江戸年中行事』(1926)の中で、『東都遊覧年中行事』(1851)から次のように引用しています。
 
「歌舞伎三座とも、翁渡し(おきなわたし)とて座中のこらず麻上下(あさかみしも)にて舞台へならび、座頭、春狂言の名題ならびに役割を読あげ、子役の者踊をなす、見物に料をもとめず。」江戸の三座とは、中村座、市村座、森田座の官許の大芝居をさします。
 
 『江戸大芝居三座年中行事』(安永6年)には、「二日、春狂言曽我初日、近頃は大方十五日よりはじまる」とありますから、安永(1772−81)ごろから春狂言は15日からになったようです。江戸の三座が初春興行に曽我狂言を上演する慣習ができたのは、享保(1716−36)以後のことでした。
 錦絵の歌舞伎役者たちの新年宴会は、隅田川の対岸に三囲(みめぐり)神社の鳥居が見えるので、今戸あたりの料亭と考えられます。天保12年(1841)以降の江戸三座は、浅草の猿若町(待乳山の西側)にありました。
 絵の中央の台の上には、刺身らしい料理の大皿と蓋物があり、深鉢の中は和え物でしょうか。右側の鍋物の中身はわかりませんが、蓋の上に散蓮華(ちりれんげ)がのせてあり、その手前には取り皿が重ねてあります。
 
NO.49の「江戸芝居三階の図」でも、楽屋での役者の酒宴に鍋物がありました。歌舞伎役者は鍋物が好きだったのでしょうか。
注) 「翁渡し」は能楽の「翁」を、顔見世や元日などに、歌舞伎風に演じること。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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