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見立月見之内
豊原国周画 文久2年(1862)
たばこと塩の博物館」所蔵
 9月11日は旧暦の8月15日で、十五夜の月見の日です。江戸時代には十五夜の月を見たら、9月13日(新暦では10月8日)の十三夜の月も必ず見るもので、片見月はしない風習がありました。
 月見の行事は現在よりも盛んで、十五夜は里芋を供えるので芋名月、十三夜は枝豆を供えるので豆名月と呼ばれていました。
 
 月見の風習は平安時代に中国から伝わって、宮廷では月見の宴が行われましたが、月に供え物をする庶民の月見は江戸時代からといいます。また、稲作が伝わる以前の日本人の主食は里芋で、里芋の収穫祭が満月の十五夜に行われたのが、月見の始まりともいわれています。
 現在の月見は、すすきを花瓶にさし、月見団子を供えますが、団子を供えるのは江戸後期から始まったようです。
 『東都歳時記』(1838)には十五夜について「看月
(つきみ)、諸所賑へり。家々団子、造酒(みき)、すすきの花等月に供す。清光くまなきにうかれ、船を浮べて月見をなす輩多し」とあり、「中古迄は麻布六本木芋洗坂に青物屋ありて、八月十五夜の前に市(いち)立て、芋を商ふ事おびただしかりし故、芋あらひ坂とよびけるなり」ともあり、天保年間には里芋から団子にかわっていることがわかります。
 また、『守貞漫稿』(1853)は、十五夜の団子について、三方に盛って供えるのは江戸も京坂(京都・大坂)も似ているが、京坂の団子は里芋の形に作り、砂糖を加えた豆粉(きなこ)を衣にし、醤油煮の里芋を、共に三方に12個ずつ、閏年には13個盛って供える、と東西の違いについて記しています。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
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