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水売・朝顔売・大和屋おせん 
一陽斉豊国(初代歌川豊国)画 
虎屋文庫所蔵
水売は八代目團十郎、中央の大和屋おせんは初代坂東志うか、朝顔売りは十二代目市村羽左衛門
 江戸時代の江戸は自然に恵まれていて園芸が流行しました。江戸前期には園芸は上流階級のものでしたが、中期に入ると生活に余裕もできて、一般の人々も園芸を楽しむようになりました。
 流行の花は時代によって変化したようですが、文化年間(1804〜18)には朝顔が流行し、季節には朝顔市が賑わい、朝顔を売り歩く行商人も多かったようです。
 
 朝顔煎餅は元禄(1688〜1704)ころの江戸名物で、京橋北八丁堀の藤屋清左衛門の創製といわれています。
 
江戸後期の『俚言集覧』(りげんしゅうらん)には「あさがほせんべい、上開、下窄(したすぼみ)、牽牛花(あさがほ)の形に似たる煎餅をいう」とあります。
 また、『江戸語の辞典』(1979)には、朝顔の花を側面から見たような形をした煎餅とあり、正確にはわかりませんが、およその形は想像できます。作り方を記した資料は見つかりませんが、江戸時代の煎餅なので、小麦粉を材料にしたものと思われます。
 おもしろいことに『大日本国語辞典』を見ると「朝顔煎餅」の項目と並んで、「朝顔仙平(せんぺい)の隈(くま)」の項目があります。歌舞伎の話なので引用してみましょう。
 
「隈取りの一つ。歌舞伎十八番「助六」に出てくる髭の意休の子分で、半道敵役の朝顔仙平が用いるもので、白塗りの顔に紅と青黛(せいたい)で朝顔に隈取り、眉毛は蕾(つぼみ)、髭は葉に描く」とあって絵もあります。
 朝顔仙平は朝顔煎餅からの名で、そのせりふの中に「事も愚かや、この糸鬢(いとびん)は砂糖煎餅が孫、薄雪煎餅はおれが姉、木の葉煎餅とは行逢(ゆきあい)兄弟、塩煎餅が親分に、朝顔千(仙)平という色奴(いろやっこ)だぞ」という煎餅尽しがあるそうです。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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