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 白須賀(しらすか) 二川(ふたかわ)へ二里半  画狂人北斎(葛飾北斎)画
 文化元年(1804)正月 味の素食の文化センター所蔵
 5月5日の端午の節供は、中国から伝来して日本古来の習俗などが加わり、病気や災厄をはらう目的の行事になりました。奈良時代に朝廷で始まってから民間の行事ともなり、江戸時代には五節供の一つとして盛んに行われました。
 
 江戸城では諸侯が登城して端午の御祝儀があり、民間の家々では五月幟(のぼり)を立て、冑(かぶと)人形を飾り、菖蒲酒を飲み、粽(ちまき)や柏餅を作りました。
 当時から江戸では主に柏餅、京坂(京都、大坂)では主に粽という違いがあったようで、幕末の風俗を記した『絵本江戸風俗往来』には「市中皆柏餅を食う。この柏餅は手製なり。また菓子屋へ注文するあり」とあり、江戸では宝暦(1751−64)ころから菓子屋で柏餅を売り始めたといいます。
 また『浪華
(なにわ)の風』には、端午には「柏餅を製するは稀なり。すべて茅巻(ちまき)を用ゆ」とあります。
 『守貞漫稿』(1853)には、柏餅の作り方が「米の粉をねりて、円形扁平となし、二つ折りとなし、間に砂糖入り赤豆餡(あずきあん)を挟み、柏葉、大なるは一枚を二つ折りにしてこれを包み、小なるは二枚をもって包み蒸す。江戸にては、砂糖入り味噌をも餡にかへ交るなり。赤豆餡には柏葉表を出し、味噌には裡(うら)を出して標(しるし)とす。」とあり、現在のものとほぼ同じようです。
 また柏餅は、東海道の白須賀(現在静岡県湖西市)と二川(現在愛知県豊橋市)の間の猿が馬場(ばんば)の茶店の名物として知られていました。上の絵は茶店で柏餅を作っている光景ですが、歌舞伎役者の3代目中村仲蔵(1809−86)は、猿が馬場の柏餅はまづかったと、自伝『手前味噌』に書いているそうです。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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