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山海名産盡 相模の堅魚
歌川国芳(一勇斎)画  『魚づくし』組本社刊
相模国(さがみのくに)は、現在の神奈川県のほぼ全域にあたり、広く相模湾に面しています。絵の題に「山海名産盡 相模の堅魚」とありますが、古くから相模国は鰹の名産地として知られていました。現在は鰹と書くカツオは、江戸時代には堅魚、松魚とも書きました。『貞丈雑記』(1843年)には「かつおという魚は、古はなまにては食せず、ほしたるばかり用いしなり。ほしたるをも「かつおぶし」とはいわず「かつお」とばかりいいしなり。かつおは「かたうお」なり。ほせばかたくなる故なり。かたうおを略してかつおというなり。されば古は「堅魚」と書きてかつおとよみしを、後に「鰹」の字を作り出したり。俗字なり。朝鮮国にては「松魚」というなり(松のひでの如く肉の色赤き故なり)。」とあります。文中の松のひでは樹脂分の多い松の根株のことです。
鰹は初夏の頃に九州の南の沖から群をなして北上し、四国沖、紀州沖、遠州沖から東北、北海道の南方まで表日本の海を回遊し、秋に水温が下がってくると南進して、もとの南の海へ去って行きます。『日本山海名産図会』(1799年)には鰹の名産地として「土佐、阿波、紀州、伊予、駿河、伊豆、相模、安房、上総、陸奥、薩摩」などをあげています。
『諸国名物往来』(1727年)や『名産諸色往来』(1760年)では、相模の名物として鰹ではなく鰹扣(かつおたたき)をあげていますが、たたきは醢(しおから)のことで『和漢三才図会』(1712年)では、紀州の熊野、勢州の桑名、遠州の荒井、相州の小田原のものを良品としています。
鰹の漁法は、網を用いるよりも竿釣りが多く、一本釣りといって鰹の群に鰯の生き餌をまき、鰹が餌を求めて興奮状態になったところを、大勢の釣り手が釣り上げます。絵の中の漁船も竿釣りでとった鰹を篭に入れており、大きな蛸も一匹見えます。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
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