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図の上部の母親は、いじめられて泣く子に菓子らしいものを持って来たところ。下左の子は「ちゃのこのだんごをくってるから、けんかをやめにすらぁ」と団子を食べています。
持っている団子は1串4個ですから、4文銭のできた明和5年(1768)以後の絵と考えられます。
 田舎祭礼 子の遊び
 落款なし 虎屋文庫所蔵
 飴と並んで庶民的な菓子に団子があります。団子は奈良時代に伝来した唐菓子の一つ団喜(だんき)に由来するものといわれて古くからあり、多くの種類や名称があります。
 江戸時代にも手軽なお菓子として人気があり、団子を売る店や行商人も多かったようです。
 
 江戸名物の団子で、文献に残っているものをあげますと次のようなものがあります。
 
店の所在地が名称の由来と考えられるものに、隅田川下流の永代(えいたい)橋際の店の“永代団子”日本橋室町浮世小路の店の“浮世団子”など。麻布飯倉片町には、亀の見せ物で評判になり“お亀団子”と呼ばれた団子屋がありました。
 また、御蔵前瓦町の“丸屋大団子”や、浅草芳町の“喜八団子”は、団子が大きく安価なので人気があったそうです。
 
形から名付けられたのは“菖蒲(あやめ)団子”で、先を4つに裂いた竹の1筋ずつに、小さく平たい団子を4つずつさしたもので、あやめの花の形に似ており、砂糖蜜をつけて客に出したといいます。
 “景勝(かげかつ)団子”は、団子の形が上杉景勝の生家の長尾家の鉾先に似ていたところからの名といわれ、享保(1716−36)から明治ごろまで江戸市中を搗きながら売り歩いたそうです。
 団子は串にさして売るのが普通で、宝暦(1751−64)のころまで1本に5個さして5文でしたが、明和5年(1768)に4文銭ができてから1本4個になり、4文で売られるようになりました。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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