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江戸の飴売りに扮した市村羽左衛門。
飴売りは、このように三味線をひいたり、鉦(かね)をたたいたり、また唐人飴売りは唐人風の服装で、チャルメラのような笛を吹いて飴を売り歩いたといいます。
 飴売渦松 
 一英斎芳艶画 文久元年(1861)
 虎屋文庫所蔵
 ことわざに「泣く子に飴」「飴とむち」などがあるように、飴は流行語でいえば、“心をいやす”効果が随一の甘いものです。随一といっても上等な菓子ではなく、飴は江戸時代から庶民のものでした。
 
 黄表紙(きびょうし)は、江戸後期の庶民の読み物でしたが、その一つ『名代干菓子山殿(めいだいひがしやまどの)』(1778)は、さまざまな菓子を擬人化して登場人物とした物語で、その中には江戸で流行の飴や飴売りが登場しています。
 飴では三官飴(さんがんあめ)、芥子糖(けしとう)、肉桂糖(にっけいとう)、桜飴、だるま糖、大ころばしなどがあります。
 飴売りには土平
(どへい)飴売り、あまいだ飴売り、お駒飴売り、唐人飴売りなどがあり、飴売りの名は売り声によるものといいます。それぞれに独特の派手な服装で、歌ったり踊ったりして、にぎやかに飴を売り歩いていたようです。
 『守貞漫稿』(1853)には飴売りについて、三都(江戸・京都・大坂)とも服装がいろいろなので絵に描きにくく、飴の種類も多い。江戸の飴店は看板にかならず渦巻の絵を描き、行商の飴売りも渦巻を描いているとあります。
 上の図の飴売りに扮した13世市村羽左衛門の定紋は橘、替紋は渦巻なので衣裳にもその両方が見られますが、渦巻は飴屋の商標でもあり、その符合におもしろさが感じられます。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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