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浪花自慢名物尽 天満大根
長谷川貞信画 国立国会図書館所蔵
 絵の題には「浪花自慢名物尽 天満大根」とあり、天満大根が大きく描かれています。天満といえば連想する天満青物市は、江戸初期から昭和に至るまで、大阪市北区天満の大川(旧淀川本流)沿いにあった青物(野菜)の取引市場で、雑喉場の魚市、堂島の米市と並んで、大坂の三大市場として知られていました。
 大根は古代エジプトで紀元前2700~2200年頃に、ピラミッド建設の労働者に玉葱・にんにく・大根が食料として与えられたといわれ、ギリシャ・ローマでは主要な野菜だったようです。日本では『日本書紀』の仁徳天皇の歌の中に於朋泥(おほね)とあるのが最初で、平安中期の漢和辞典『和名類聚抄(わみようるいじゅしょう)』には於朋泥(おほね)、大根(おおね)とあり、室町中期の国語辞典『節用集(せつようしゅう)』には、大根(だいこん)・蘆箙(ろふ)・蘿箙(らふ)・大根(おおね)とあります。
 江戸時代には大根の栽培が盛んで、『農業全書』(1697)には宮の前大根・はだ菜大根・ねずみ大根などの名をあげて栽培法を記しています。天満大根の名はありませんが「尾張、山城、京、大坂にて作る勝れたる種子を求めてうゆべし。根ふとく本末なりあひて長く、皮うすく、水多く甘く、中実して脆く、葉付き細く、葉柔かなるをえらび作るべし」とありますから、大坂の天満大根もこのような品種であったと考えられます。なお『形図説』(1804)には23品種の大根があげられ、昭和40年(1965)刊の『日本の大根』には109品種の大根の写真があるそうです。
 天明5年(1785)刊の『諸国名物大根料理秘伝抄』には43種の大根料理がありますが、その一つ「諸国名物の大なる大根同大蕪香物漬方」の中に、大なる大根の1種として大坂天満大根があげられており、香の物(漬物)に適する大根だったようです。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
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