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浪花名所図会 雑喉場魚市の図
歌川広重画 国立国会図書館所蔵
 上の絵には雑喉場(ざこば)魚市の図とあり、大勢の人で賑わう中で、売り手が魚を投げて、手をあげて受け取ろうとしている買い手もいます。
 雑喉は雑魚とも書き、いろいろの魚がいりまじった小魚をさします。雑喉場は魚市場一般をさすこともありますが、江戸時代に大坂(現在の大阪)で最大の生魚市場の通称になっていました。
 大坂の魚市場の歴史は古く、豊臣氏の時代には天満魚屋町、靫(うつぼ)町、本天満町に、生魚・塩魚を売買する魚市場が開かれていました。江戸初期の元和4年(1618)に、魚市場で営業していた魚商のうち生魚商17軒が上魚屋町に移転し、幕府へ冥加金(みょうがきん)を納めて生魚市場の特権を得ました。その後、上魚屋町が川口に遠いため、漁船の出入りに便利な鷺町に移転し、鷺町の魚市場が雑喉場と呼ばれるようになりました。
 時代とともに多くの変動を経て雑喉場は繁栄しましたが、昭和6年(1931)に大阪市中央卸売市場の開場によって、その歴史を閉じました。
 『守貞謾稿』(1853)には雑喉場について次のようにあります。「大坂の西北隅に雑喉場と称す官許の魚市あり。その行、江戸の魚市に及ばずといへども、また小行ならず。けだし堺市に出す魚類、近海に漁する所なるべし。この故におのずから肉肥えて美味なり。尼ヶ崎およびざこばに出すもの、遠海より来る故に味肉ともに劣れり。価も大略堺魚の半価とす」とあります。また別の箇所に「京坂食用の鮮魚は、堺より出るを上品とし、美味とし、価も他に倍す」とありますから、雑喉場では一般的の安い魚を売買したようです。
 また「京坂には白魚(しらうお)これなし。たまたま枯魚(ひもの)あるのみ。また蛤はこれあり、あさり、ばか、さるぼうこれなし」とあって、江戸と京坂の魚介類をくらべています。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
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