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京都名所の内 淀川
歌川広重画 国立国会図書館所蔵
 上の絵には「京都名所之内 淀川」とあり、満員の客を乗せた船と、その手前に物売りの小船が描かれています。淀川は琵琶湖を水源にして大阪湾に注ぐ大川で、初めは瀬田川の名で琵琶湖を出て、京都府に入って宇治川になり、山崎付近で桂川と木津川の支流を合わせ、大阪平野を南西に流れて大阪城の北で寝屋川を合わせ、安治(あじ)川、尻無側、木津川に分流して大阪湾に注ぎます。なお1903年に毛馬から大阪湾へ直線の放水路が建設され、現在はこの新淀川が本流になっています。
 江戸時代の淀川は、京都の伏見と大坂の八軒家の間に川船が往来して人や荷物を運び、沿岸にある船着場が繁栄しました。
 『東海道中膝栗毛』の弥次郎兵衛と北八は伊勢参宮をすませてから奈良街道を京都へ向い、夕暮れ時に伏見の京都へ着きます。はじめは大坂へ行くつもりで、八軒家へ下る船に乗りますが、大雨で船が止まっている間に2人は用を足しに岸へ上がり、乗る時に間違えて別の登り船に乗ってもとの伏見へ着いてしまいます。
 船の中で2人は乗り合わせた隠居から、酒の肴に煎殻(いりがら、鯨の白い脂身を煎って脂をとったもの)を貰ったりしています。また物売りの船では呼び声も賑やかに、みづから(昆布を結び山椒を入れた菓子)、砂糖餅、燗酒、あんばいよし(豆腐田楽)などを売っていたとあります。枚方(ひらかた)の辺りでは「飯くらはんかい、酒のまんかい」と呼びかける商人船が漕ぎよせ、北八が飯を買ったところ、汁はぬるく、芋も牛蒡もくさっていると怒っています。
 伏見へ着いた2人は、船宿で炊きたての飯に八杯豆腐で朝食をするうちに、ようやく大坂でなく伏見に着いたことに気づきます。八杯豆腐はほそく切った豆腐を、水4杯・醤油2杯・酒2杯の汁で煮たもので、江戸時代の庶民の副菜(おかず)の筆頭にあげられています。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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