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東海道五十三次の内 草津の図
香蝶楼国貞(のちの三代目歌川豊国)画 国立国会図書館所蔵
 水口の宿場から石部を過ぎ、草津の宿場の手前に目川(めかわ)の立場があります。目川の菜飯と田楽は旅人に好評の名物でした。菜飯は蕪や大根などの葉をさっと茹でて細かくきざみ、薄い塩味で炊いた飯に混ぜたものですが、生のまま細かくきざんで塩もみしたものを炊き上がった飯に混ぜる作り方もありました。
 田楽は豆腐を串にさして味噌をつけて焼いた豆腐田楽で、『豆腐百珍続編』(1783)には「目川でんがく」の作り方として「釜に葛湯を沸し串にさしながら始終煮ながら、取だしては炉(ひばち)へかけ、取りだしては炉へかけするなり。常の田楽の如く炙(やく)におよばす。水気をさるまでにして味噌をつけ、小炉にて炉ながら席上(ざしき)へ出す也。是江州目川の本製なり」とあります。
 菜飯も田楽も室町中期から文献に登場していますが『嬉遊笑覧』(1830)には「田楽かならず菜飯に添えてくふも寛永頃よりなるべし」とあり、菜飯と田楽の結びつきは江戸初期からのようです。
 目川の菜飯田楽が好評だったので、各地に目川(女川)の菜飯田楽を名乗る店ができ、江戸では浅草の店が有名でした。
 幕末になると『守貞謾稿』(1853)には、豆腐田楽について「今世、三都にこの名物なし。東海道目川を田楽の名とし、三都にてもこれを製するもの、目川をもって号とするあれども、近江の目川、今は衰へてこれを食す人稀なり。はなはだ粗製故なり」とあります。
 上の絵には左の方に「東海道、中仙道木曽街道」の道標がありますが、草津は木曽11宿を経るため木曾街道とも呼ばれた中仙道と東海道の合流点で交通の要所でした。草津の名物には「うばが餅」がありましたNO.93でとり上げたので省略しました。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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