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8月28日「東海道五十三次の食文化」での江戸の幕の内弁当と天ぷら・そば
 「東海道五十三次の食文化」の第1回が8月28日にありました。第10回の2011年5月までの間、毎月2回の「江戸食文化紀行」は内容を変更して、1回は前月の会で再現した江戸料理の話を、1回は五十三次関連の錦絵を選んで、江戸の旅の話をすることになりました。今年の夏は猛暑つづきなので、旅立つのは9月からにして、8月は芝居見物の幕の内弁当と、江戸後期に屋台で人気のあった天ぷらと、江戸市内に多かったそば屋のそばを再現しました。
 そばの器が大きかったので写真では小さく見えますが、主役は幕の内弁当です。『守貞謾稿』(1853)の記述に忠実に作りましたが、握り飯だけは小さくしてあります。右側の奥の方から玉子焼・蒲鉾・焼豆腐・里芋・かんぴょう・菎蒻(こんにゃく)です。煮しめの作り方は現在と同じで、調味は現代人に合わせました。江戸時代の料理書には、料理の調味については「常の如く」とか「よき加減に」などとあり、分量については書かれていません。
 
江戸時代には交通手段は一般には徒歩で、便利な電気器具もなく、台所も不便でしたから労働量が多く、食塩の必要量も多かったと思われますが、再現では現代人に合わせた調味にしました。
 
左側の握り飯は『守貞謾稿』にある通り10個ですが小さく作りました。「径(わた)り1寸5分(約4.5センチ)、厚さ5、6分(約1.5センチ)」と握り飯の大きさを書いていますが現代人には飯の量が多すぎます。昭和6年に書かれた宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の中に「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜をタベ」とあり、昭和初期の農村も副食は少なかったようです。
 そばは現在と変わりませんが、屋台の天ぷらは串刺しだったようなので、アナゴとエビの串刺し天ぷらを作りました。天つゆもつけやすく、食べやすいのでおすすめです。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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