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松王女房千代 歌川豊国(初代)画 文化8年(1811)頃
早稲田大学演劇博物館蔵。無断転載禁。
(c)The TsubouchiMemorial Museum, WasedaUniversity, All Rights Reserved
 「松王女房千代」の絵は、「桜丸女房八重」「梅王女房はる」と並ぶ3枚組の1枚です。左上の松の囲みのなかには松王丸が、五代目松本幸四郎の似顔で描かれており、女房千代は大きな擂鉢(すりばち)と擂粉木(すりこぎ)でみそをすっています。この絵は『菅原伝授手習鑑』の三段目「賀の祝」の場面の見立ですが、四段目「寺子屋」では、松王丸と千代は菅秀才の身替りに、我が子の命を差し出す悲劇の両親になります。
 絵に描かれた擂鉢は、現在のものと比べて随分大きく見えますが、昔のものは実際に大きかったようです。
 
擂鉢は、鎌倉時代に中国から禅僧によって伝来し、初めは禅寺で使われていました。当時の擂鉢は内面の条溝が少ないものでしたが、江戸時代に入って備前焼きで作られるようになり、現在のような細かい条溝のある擂鉢が大量生産されるようになり一般に普及しました。擂鉢と擂粉木によって調理法も多様化して、みそ汁・胡麻みそ・ととと汁・白和えなども作られるようになりました。
 みその原形は奈良時代の未醤といわれており、大豆が主原料の豆みそ系のものだったようです。のちに米麹も用いるようになり、江戸時代には多種類のみそが作られ、みそ汁は食生活に欠かせないものになりました。『守貞謾稿』(1853)には、庶民の日常の朝食は飯とみそ汁だけとあります。また京坂ではみそを自製する者が多く、桶から食事のたびにとり出して、すり鉢ですってみそ汁を作るが、江戸では赤みそ、田舎みそを買ってみそ汁を作るともあります。
 『料理塩梅集』(1668)は、みそ汁の作り方を詳述しており、赤みそ1升、白みそ3合の割合で別々にすって漉しておき、鰹だし袋と共に鍋に入れ、妻(具)を3、4種加えてみそ汁を作るとしています。

 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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