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浮世年中行事 皐月(さつき)
歌川豊国(三代目)画 味の素食の文化センター所蔵
 絵には国貞改め二代目豊国とありますが、国貞は弘化元年(1844)に師の豊国の名を継いで二代目を自称しましたが、実際には三代目です。中央手前の女性は初節供の祝の菖蒲刀を持参した客で、右手前のこの家の主婦が応待しています。菖蒲刀が贈物であることは、上に長熨斗がのせてあることでわかります。
 菖蒲刀は菖蒲を束ねたもので、端午の節供に子供が刀の代わりにして戦争ごっこをしたり、地面を打って音の大きさを競う菖蒲打ちに用いましたが、江戸時代には端午の節供の飾り物の木太刀も菖蒲刀と呼んでいます。

 3人の女性が作っている柏餅は随分沢山ありますが、当時は柏餅を親戚や知人に贈るので大量に作りました。中央奥には贈るための重箱と長熨斗が見えます。1例をあげると、滝沢馬琴家では文政11年(1828)5月5日に、孫の太郎の初節供に300個程の柏餅を9軒の親戚に贈っています。
 『日本歳時記』(1687)には端午の節供の飲食として菖蒲酒と粽
(ちまき)をあげて柏餅はなく、江戸も初期には粽でしたが、中期頃から柏餅も作るようになり、宝暦(1751−64)頃には端午の節供には菓子屋で柏餅を売り始め、後期には江戸は柏餅、京坂はおもに粽の風習が定着したようです。
 柏餅の作り方も少しずつ変化しており、『御前菓子秘伝抄』(1718)には、粳米粉(上新粉)を湯でこねたもので塩味の小豆あんを包み、卵形に丸めて柏葉で包み蒸すとあります。
 『守貞謾稿』(1853)には、粳米粉をこねて円形扁平にして二つ折にして間に砂糖入りのあんを挟み、柏葉に包み蒸すとあり卵形ではありません。現在は上新粉をこねて蒸してから卵形か二つ折にあんを包み、柏葉で包んでいます。絵の中央手前の籠の中の柏葉は緑色のようですが、旧暦の5月は現在の6月頃ですから新鮮な葉を使っていたのでしょうか。

 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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