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流行浮世の写絵
歌川広重(三代目)画 慶応3年(1867) 味の素食の文化センター所蔵
 写絵(うつしえ)は、ガラスに描いた絵を燈火によって映し出すもので、享和年間(1801−04)から明治の末頃まで、寄席(よせ)や涼み船などで娯楽として行われていたものです。
 『嬉遊笑覧
(きゆうしょうらん)』(1830)には「硝子のかげ絵も予が幼き頃より見しものなれど、其ころは石台の花の開く処、又は掛物などに文字のあらはるるなどにて、今の如く人の動き、鳥の飛やうの巧なる事はなし。」とあります。
 『守貞謾稿』(1853)になると「影画となづけて小玉板に種の画をかき、画のまわりを黒くし、また風呂となづりて小箱前に穴をうがち玉二重を張り、箱中に燈をともし、燈と玉を張る穴の間に絵を逆さに挟むに、前の玉に映じて逆さならず、同じ物二、三枚を画き替へて、人物等種々動作あるがごとし。これまた寄(よせ)に出て銭を募る。専ら児童を集む。」とあり、時代とともに進歩しているようです。
 上の錦絵の板行された慶応3年(1867)は、10月に大政奉還が布告される江戸時代最後の年で世情は騒然としており、米価高騰のため打ちこわしが起こり、諸物価の高騰が続いていました。描かれている写絵は当時の物価の高騰を諷(ふう)したもので、絵の中の人物は顔や背中にそれぞれの職種が書かれています。
 絵の左上の米俵は「わたしはこのうへあがりよふはないから どりゃそろそろさがりませう」といっています。その右は剣菱の商標の酒で、「ずんずんのぼれ」と米俵のあとを追い、その次の油と炭は「いそいでのぼれ まけずにのぼれ」といい、続く糸 みそせうゆ かみ 材木は「なんでもかまわずてんへのぼれ」といっています。
 このほか食べ物では、さとう、塩、茶、料理、豆腐、野菜、すし天ぷら、魚などの職種が見え、追い越されないように争っています。左下の福助の口上は「東西東西だんだんとのぼりつめますれば これより一度にさがれます。」

 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
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