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江戸浮世人形「もちつき」
人形師 岩下深雪 作
 上の写真は、「もちつき」という題の江戸浮世人形です。11月10日から22日まで、都内江東区の画廊で開催された岩下深雪さんの個展『お江戸食べ物語』の展示の一つです。三代歌川豊国の「甲子春黄金若餅(きのえねはるこがねのわかもち)」の錦絵をもとに作られたもので、紙粘土の人形に彩色し、蒸籠・臼・杵その他の道具も精巧に作られています。
 大分以前になりますが、NO.3の「黄金の若餅」と、NO.51の「江戸の餅搗き」で、豊国の5枚組の「甲子春黄金若餅」を3枚と2枚に分けて掲載しましたので、この「もちつき」の見事な人形も見ていただきたいと思いました。

 江戸の餅搗きを題材にした錦絵はよく見られますが、錦絵に雑煮は見当たりませんので、今回は「もちつき」から雑煮の話です。
 雑煮で正月を祝うようになったのは室町時代からのようで、『言継郷記
(ときつぐきょうき)』の天文3年(1534)正月元旦に雑煮の記載があり、安土・桃山時代に編さんされた『日葡辞書(にっぽじしょ)』には、ザウニを「正月に出される餅と野菜で作った一種の煮物」と定義しています。
 江戸時代には将軍から貧しい人々まで正月には雑煮を祝うようになりますが、その内容は地域により違いがあったようです。現在でも東日本は角餅で清汁仕立、西日本は丸餅で近畿を中心に味噌仕立が特色とされていますが、これは江戸時代からで『守貞謾稿』(1853)には次のように書かれています。
 「今世京都の雑煮戸主の料には必らず芋がしらを加ふといへり。大坂の雑煮は味噌仕立也。五文取ばかりの丸餅を焼き、これに加え小芋・焼豆腐・大根・乾あわび・およそこの五種を味噌汁に製す。江戸は切餅を焼き小松菜を加え、鰹節を用ひし醤油の煮だし也」。五文取は一つ五文で売っていた餅のことです。

 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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