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三囲の景
歌川広重画
 天保期(1830−44) 国立国会図書館所蔵
 三囲(みめぐり)稲荷は、隅田川を隔てた浅草の対岸、向嶋の竹屋の渡しの乗り場の前にありました。現在は墨田区向島2丁目で、三囲神社とよばれています。『江戸名所図会』(1836)の三囲稲荷社のところには、元禄6年(1693)の夏に、旱魃(ひでり)で困った村民が集って神前に請雨(あまごい)の祈願をしたとき、村民にかわって宝井其角(きかく)が「夕立や田をみめぐりの神ならば」の句を神前に供えたところ、待望の雨が降ったと書かれています。
 安政3年(1856)の江戸切絵図でみると、向嶋は農村地帯で、田畑の中に寺院が散在しており、隅田川堤は墨堤(ぼくてい)とよばれて桜の名所で、春には花見の客で賑わいました。三囲稲荷の角には「料理屋平石」とあり、この店は「葛西太郎」の名で、名物評判記の『富貴地座居(ふきじざい)』(1859)に江戸の料理屋の名店の一つとしてあげられており、鯉料理が有名でした。近くにある秋葉権現へ行く途中には、料理屋の武蔵屋と大七があり、両店とも鯉料理が有名だったようです。
 上の絵には堤の上から見た三囲稲荷が描かれており、鳥居が下に見えています。中央の葦簀張(よしずばり)の茶店の手前に「幕の内 出羽屋」の幟(のぼり)が立っています。芝居見物の弁当の幕の内の幟が三囲稲荷の傍にあるのは、芝居町の堺町に店を持つ出羽屋がこの近くで幕の内弁当を商っており、その宣伝のために人目につきやすいこの場所に幟を立てたということのようです。
 『守貞謾稿』(1853)によると、幕の内弁当は芝居見物の弁当として芳町の万久という店で売り始めましたが、芝居用だけでなく、病気見舞の贈り物にもし、他の行楽の弁当にも用いられたとあります。幕の内弁当を売る店も万久以外にもできて、出羽屋もその一つでした。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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