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東都三十六景 目黒不動
歌川豊国(三代目)歌川広重画
 国立国会図書館所蔵
 絵の題には「目黒不動」とある美しい彩色の団扇(うちわ)絵です。滝泉寺(りゅうせんじ)不動尊、通称目黒不動は天台宗の寺で、現在の下目黒3丁目にあり、文京区本駒込1丁目の目赤不動、豊島区高田本町1丁目の目白不動などと共に、江戸時代には五色不動の一つでした。
 当時の目黒は江戸近郊で鷹狩りの好適地であり、寛永元年(1624)に三代将軍家光が滝泉寺に放鷹の本陣を置き堂舎を造営してから目黒不動として有名になったといいます。鷹狩りのときには茶店や農家に立ち寄って食事をすることもあり、有名な「目黒のさんま」の落語のもとにもなったといわれています。
 目黒不動は『江戸名所図会』(1834)にも詳述されており、門前町の賑わいは概略次のように書かれています。「参詣人は絶えることがないが、とくに正月、5月、9月の28日は、前日から終夜参詣人が多い。また12月13日は煤払(すすはらい)の開帳があって賑わう。門前の5、6町の間は左右に商店が並び、粟餅や飴や餅花を売る店が多い。」なお1町は60間で約108メートルのことです。
 餅花は正月の飾りとして年末の煤払の日に売っていたもので、通常の目黒不動の土産は粟餅や飴だったらしく、目黒飴はよく知られています。
 
また江戸の切絵図で見ると、目黒地域は大名の下屋敷と寺院が多く、その他はほとんど田畑で、大根・茄子・瓜など野菜の生産地で筍も多くとれ、門前の店では筍飯が名物でした。現在の筍飯は、一般に筍を炊き込んだ味付飯ですが、江戸時代の料理書『名飯部類』(1802)の筍飯の作り方は次のようなものです。「筍の柔らかな部分を塩ゆでにしてから小さく切る。飯は普通に炊き、沸騰がおわり弱火にする時に飯の上に筍を置き炊き上げる。筍飯を器に盛り、吸物味のだし汁をかけ、浅草海苔や山椒を添える。」
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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