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源氏雲浮世画合 桜丸女房八重
一勇斎国芳画 国立国会図書館所蔵
 上の絵は「菅原伝授手習鑑」の賀の祝の段の桜丸女房八重を描いたもので、NO.91では鰹節を削る八重の絵を紹介しましたが、今回の八重はすり鉢の前ですりこ木を持っています。
 賀の祝は、梅王丸、松王丸、桜丸の三つ子の兄弟の父白太夫
(しらだゆう)の70歳の賀の祝で、桜丸の女房八重が最初に白太夫の家に来て、祝いの膳の支度を始めます。そこへ梅王丸の妻春と、松王丸の妻千代が来て、3人で料理をするのですが、台詞から祝膳の献立をまとめてみると次のようになります。
 雑煮(餅・大根・芋・上置に昆布)、鰹鱠、浸し物(たんぽぽ)、みそ汁(嫁菜)、飯。

 八重の持っているすりこ木は、すり鉢でみそをするためのもので、江戸時代にみそ汁をつくる時には、すり鉢でみそをすり、みそ漉しで漉して用いました。本山萩舟著『飲食事典』には、明治の末頃に漉みそが市販されるようになったとありますが、昭和9年発行の『温かくて美味しい冬の家庭料理』の中に「味噌は漉味噌よりも粒味噌を、拵える度毎に摺りつぶして用いる方がよい」とあり、みそをすることは昭和になっても行われていたようです。
 すり鉢の由来については定説がないようですが、鎌倉時代に禅僧によって中国から伝来して禅寺で使われ、その後庶民にも普及したと考えられています。初めはすり粉鉢とよばれて製粉に使われていたようです。中世の遺跡から発掘されたすり鉢は内面の溝が粗く少なく、全面に細かい溝のあるすり鉢は、江戸時代に入ってからの備前焼のものからです。
 すり鉢の普及によって、みそ汁をはじめ白和え、とろろ汁その他多様な料理がつくられるようになり、日本料理の発展を助けたといわれています。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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