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江戸高名会亭尽 雑司ヶ谷の図
歌川広重画
 国立国会図書館所蔵
 江戸時代後期の宝暦(1751〜64)頃から江戸には本格的な料理屋が出来はじめ、雑司ヶ谷(豊島区)の茗荷屋もその一つで、文政7年(1824)刊『江戸買物独案内』飲食の部の御料理の中に「即席御料理 雑司ヶ谷 茗荷屋沖右衛門」とあります。
 雑司ヶ谷には安産と子育ての神として参詣人の多い鬼子母神
(きしぼじん)があり、門前の左右には茗荷屋などの料理屋、茶屋、土産物屋などが軒を連ねていました。鬼子母神の北には法明寺があり、日蓮宗のお会式の時には鬼子母神もとくに賑わいました。
 絵の正面の入口には「御料理めうがや」とあり、二階建が2棟見えます。入口の左手の塀に「仙女香 坂本氏」と書いた看板がありますが、仙女香は南伝馬町三丁目にあった坂本屋から売り出された白粉の名です。仙女香は、名女形瀬川菊之丞の名で売り拡められ、彼の俳名が仙女であったところからの名といいます。多くの出版物や版画などにも盛んに広告をし「何にでもよく面を出す仙女香」の川柳もあります。
 左端の母子連れの子供が持っているのは、鬼子母神土産のみみずくです。

 茗荷屋は即席御料理とありますから、注文に応じてすぐ料理を出す料理屋ですが、蕎麦もおいしかったのでしょうか。芝居好きで有名な隠居大名柳沢信鴻の『宴遊日記』は安永2年(1773)から天明5年(1785)までの日記ですが、雑司ヶ谷参詣の時には茗荷屋に寄って蕎麦を食べています。安永2年から安永7年までに11回茗荷屋に寄り、打懸(ぶっかけ)蕎麦1回、蕎麦8回、しっぽくそば(鴨、芹、くわい、茄子、牛蒡)1回、もう1回は蕎麦だけでなく、茶飯、硯蓋物(口取り類)、鉢肴(鉢に盛って出す肴)もありました。信鴻は蕎麦好きとしても知られており、日記には多くの蕎麦屋が登場します。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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