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江戸名所百人美女 堀の内祖師堂
歌川豊国(三代目)、歌川国久
画 安政4年(1857) 国立国会図書館所蔵
 堀の内は豊多摩郡和田堀の内村で、現在の杉並区堀の内のあたりです。祖師堂は日蓮宗妙法寺の祖師堂で、厄除祖師として知られていました。『江戸繁昌記』(1835)には、江戸では下町が繁栄して、山の手の堀の内はさびしいところでしたが、安永(1772〜81)のころから妙法寺への参詣人が多くなり、茶屋や料理屋もできて繁昌したとあります。水あめを売る店もあったようで、女性がかねを叩いて粟(あわ)の水あめを売っています。
 水あめは米や粟などのでん粉質を、麦もやしなどに含まれる糖化酵素で糖化してつくる古代からある甘味料です。
 江戸時代の菓子製法書『古今名物御前菓子秘伝抄』(1718)には、汁あめとして水あめの作り方が要約次のように書かれています。

 
「もち米の上白米1升を飯に炊き、麦のもやし5勺を細かくして飯と一緒に桶に入れて混ぜ、水をひたひたに加えて10時間ほどおく。それを布袋に入れて漉し、鍋に入れて加熱してねり詰める。」
 粟の水あめについては菓子製法書には見当たりませんが、本山荻舟著『飲食事典』(1958)に次のような記述がありました。「享保年間(1716−36)越後高田の高橋孫左衛門なるものが、初めて粟のあめをつくって粟あめの名声をひろめ、ついで二代目孫左衛門は、明和・寛政(1764〜1801)のころ改良をくわだて、もち米で透明な優良品をつくったけれども、名前はやはり売りこんだ高田の粟あめととなえ明治年間におよんだ。」
 上の絵には粟の水あめとありますが、或はもち米製の水あめかも知れません。水あめをさらにねり詰めてからさましたものを固あめとよび、固あめが熱くてやわらかいうちに、何度も引きのばして空気を含ませて白くしたものを白あめとよんでいました。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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