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東都繁栄の図 猿若町三芝居図
歌川広重画 嘉永7年(1854)3月(この年の11月安政に改元) 国立国会図書館所蔵
 猿若町は、江戸時代末期の江戸の芝居町で、現在の浅草6丁目辺にありました。天保の改革で、それまで堺町にあった中村座、葺屋町の市村座、木挽町の森田座(当時は河原崎座)の江戸三座が浅草聖天町に移転を命ぜられて天保13年(1842年)に移り、そこが猿若町と改称されました。
 上の絵は猿若町2丁目にあった市村座の顔見世月の光景で、錦絵の題に「猿若町三芝居」とあるのは、ほかに中村座と森田座の絵があるからです。

 旧暦11月は新しく編成した役者の顔ぶれで最初の顔見世興行をする月で、芝居町の正月とも呼ばれていました。
 『戯場訓蒙図彙
(しばいきんもうづい)』(1803)には11月1日の前日に「この日より初めて南側茶屋の屋根に思ひ思ひの作り物に花を飾る。贔屓(ひいき)連より引幕・幟(のぼり)・酒・せいろう・米・炭・醤油に至るまで、山のごとく積み上げて、贔屓の手打ちは家々に賑はしく、なかなか筆に及びがたし。」とあります。
 この文章は猿若町へ移転する前の芝居町の光景ですが、上の錦絵も同じような賑わいです。市村座の左側の芝居茶屋の屋根には作り物が飾られ、三番叟、宝船、暫の人形に見えます。店先の積物(つみもの)は、蒸籠(せいろう)と炭俵でしょうか。蒸籠の中身は饅頭で、市村座出入りの饅頭屋虎屋が市村座の特別興行には蒸籠を積むのが慣例でした。
 芝居茶屋の料理も11月は特別だったのか、柳沢信鴻の『宴遊日記別録』で調べてみました。同じ市村座観劇で芝居茶屋は松屋の夕食ですが、9月も11月も同じ程度のものでした。
9月13日
飯、汁(小蕪・根芋)、煮物(鰈)、煎物(松茸・麩)
11月11日
飯、汁(摘入・貝柱・芋)、煮物(肉・なまこ・他2種)、焼物(小平魚)、漬物(菜)
注) 柳沢信鴻(のぶとき)は大和郡山藩の二代藩主で安永2年に隠居し、駒込の別荘(現在の六義園)で暮らし、『宴遊日記別録』は芝居小屋で観劇した記録です。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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