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東都名所御殿山花見品川全図
歌川広重(一立斎広重)画 国立国会図書館所蔵
 御殿山の花見については、花見重詰の例と共にNO.59で紹介しましたが、上の絵は御殿山から品川宿と江戸湾を一望した品川全図です。御殿山の地名の由来は『江戸名所図会』(1834)によると、慶長・元和のころ、この地に徳川家の御殿(別荘)があったからで、元禄初めに火災で焼失して地名だけが残りました。寛文年間(1661−73)に1000本の桜が植えられ、さらに享和2年(1717)に、吉宗によって600本の桜が植えられ桜の名所になりました。
131 絵の中央から右の御殿山には、桜を楽しむ人々の間に、敷物に座って重箱を前に酒を飲む人たちがあちこちに見え、4本柱に葭簀(よしず)の屋根をかけた掛茶屋もいくつかあります。掛茶屋は水茶屋(小屋がけの茶屋)よりも粗末な茶屋で、湯茶を接待する手軽な休憩所でした。御殿山は遠くに安房、上総の山々を見ることができる眺めのよい桜の名所として賑わいました。
 
 御殿山から見下ろす東海道沿いの家並みは品川宿で、東海道第一の宿駅として旅人の往来が多く、下の海岸は潮干狩の好適地で、江戸から近い行楽地でもありました。
 また、品川の海は海苔の産地で、江戸初期には天然海苔でしたが、元禄(1688−1704)ころから養殖のヒビ(海苔を育てる木の枝や竹)が見られるようになり、延享3年(1746)には品川の海全体に養殖場が広がったといいます。

 紙のように抄
(す)いた抄き海苔の製造は、享保(1716−36)ころに浅草で始まりましたが、名物となった浅草海苔の原料の多くは品川でとれた海苔でした。
 
 その後、嘉永6年(1853)の黒船騒ぎの際に、お台場を築くため御殿山をとり崩して海を埋め立て、桜の名所も海苔の養殖場の海も失われてしまいました。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
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