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絵兄弟道引二十四孝
一勇斎国芳(歌
川国芳)画 国立国会図書館所蔵
 右上の絵は、中国で古来有名な24人の孝子「二十四孝」のうち、王祥(おうしょう)の話を描いたものです。王祥は厳寒の冬に生魚を食べたいとう母のために、氷結した河の上に裸になって横たわり、氷が少しとけたところからとび出した2尾の魚を得たという話です。
 二十四孝は中国の元代に書かれた『二十四孝詩選』によるもので、いつ頃わが国に伝来したのか不明ですが、和訳されて室町中期以後広く知られるようになりました。江戸時代に入り享保(1716−36)の項に刊行された短篇小説集『御伽草子』
(おとぎそうし)の中の1篇として一般に流布しました。
 歌舞伎狂言の「本朝二十四孝」は、二十四孝の1人孟宗が、冬に筍を食べたがる母のために竹林で祈ったところ筍が生えたという話にちなんで、三段目に慈悲蔵が母のために雪中から筍を掘ろうとする場面があるところから名付けられた狂言です。
 錦絵には「絵兄弟道引二十四孝」とありますが、「絵兄弟」を辞書で見ると、「一見無関係な画材を結びつけ、一対としてその奇抜さを楽しむ遊び」とありますから、氷の中から魚を得た王祥と、魚を釣り上げた女性を、魚を得たという点で結びつけたのでしょうか。
 得た魚の名は王祥の話には書いてありませんが、中国では単に魚という場合は第一位の魚である鯉を指すといいます。

 わが国でも室町時代までは、第一位の魚は鯉でしたが、江戸時代になると鯛が第一位となり、『鯛百珍料理秘密箱』(1785)も刊行されて鯛料理は多彩になり、祝儀に欠かせない魚になりました。鯉の料理法はあまり多くありませんが、鯉濃漿(こいこくしょう)が鯉こく、洗い鯉が鯉のあらいとして現在もつくられています。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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