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東都名所駿河町之図
歌川広重(初代)画 天保年間(1830−44) 国立国会図書館所蔵
 上の錦絵のように、駿河町の三井越後屋は江戸の名所にもなっていますが、現在も同じ場所で呉服店は日本橋室町の三越本店、両替店は三井住友銀行などとして営業しています。越後屋は延宝元年(1673)に日本橋本町に開店し、天和3年(1683)に駿河町に移転しました。駿河町の名は、富士山がよく見えたところからつけられたといいます。
 錦絵では、越後屋は道路の両側にありますが、現在この道路は三越本店と三井住友銀行の間を常盤橋の方へ向う道路で、手前の左右へ通じる道路が中央通りで、左の方が日本橋方向です。

 中央の道路左側の越後屋の手前の、よしずを立てた小さな店は自身番の番小屋です。自身番は各町内の警備のために設けられていた番所で、町方に維持されていました。家主・番人・店番などが詰めていて、交替で町内を見廻り、火の番などにも当たっていました。
 また軒先に駄菓子・荒物・雑貨・わらじなどを並べて日銭を得ることもしていました。

 絵の中央の、半台を下げた天秤棒をかついでいるのは、魚を売り歩く棒手振(ぼてふり)です。日本橋には魚市場があったので、駿河町辺も魚売りが多かったようです。
 『大江戸八百八町』(江戸東京博物館2005年発行)の中から、三井越後屋(駿河町本店)と棒手振商人の1日の売上高を比較した部分を次に紹介してみましょう。

 三井越後屋の売上高は、1745年には1日銭272万2700文で、棒手振商人の1日の売上高は、文政年間(1818−30)に銭1,200文で、三井越後屋の1日の売上高は、棒手振2269人分、そばに換算すると、1杯16文として17万168杯分に当たると計算しており、三井越後屋の経営規模の大きさを示しています。

 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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