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江戸自慢三十六興 猿若街顔見せ
歌川豊国(三代目)、歌川広重(初代)画 元治元年(1864) 国立国会図書館所蔵
 猿若町は江戸末期の芝居町で、現在の台東区浅草6丁目辺に当たります。天保の改革で江戸三座(堺町の中村座、葺屋町の市村座、木挽町の森田座)は郊外の浅草に移転を命じられ、移転先は猿若町と改称され、天保末頃から明治初年まで芝居町として繁栄しました。
 江戸の芝居小屋では毎年11月(旧暦)の、向う1年間の新しい座組による最初の興行を顔見世と呼び、芝居の世界では正月に当たる大事な興行でした。

 上の絵は顔見世興行中の芝居茶屋の二階の光景で、道を隔てた芝居小屋の、沢村田之助、坂東彦三郎、河原崎三升ののぼりや絵看板が見えます。旧暦11月は現在の12月ですから寒い時期で、火鉢の炭火も山盛りです。
 客の前には小鉢や小皿をのせた膳があり、手前の一部分が見える台の上の魚の尾は、姿焼の鯛のように思われます。

 芝居茶屋ではどんな料理を出したのでしょうか。資料は少ないのですが、『宴遊日記別録』に顔見世興行中の食事の記録があります。大和郡山藩の2代藩主柳沢信鴻(のぶとき)は、50歳で隠居した安永2年(1773)から13年間『宴遊日記』を書き続け、その期間中に観劇した119日の記録を集めたものが『宴遊日記別録』です。芝居茶屋での食事の記録は49日分と少ないのですが、安永2年11月26日の食事は次のようなものです。
朝食 茶づけ、煮物(牡蛎卵付 くわい)、猪口(紫蘇巻梅)
夕食(現在の昼食) 茶飯、汁(豆腐 青み のり)、煮物(肉 椎茸 芹)、焼物(かれい付焼)
夜食(現在の夕食) 蕎麦、汁(つみ入 椎茸)、煮物(くわい はんぺん)、浸し物(青み はりはり)
 この日の観劇は堺町の中村座で、近くの芝居茶屋松屋で食事、屋敷は現在の駒込六義園にあり、午前5時出発し、午後10時過ぎ帰着、往復徒歩でした。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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