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當世三十二想
豊原国周画 明治元年(1868) 国立国会図書館所蔵
 上の絵は、何本も麻縄で結びつらねた鰹節を描いた珍しいものです。鰹節10本をこのように結びつらねたものは一連(いちれん)とよび、売買の単位にもなっていました。
 若い女性と鰹節の関係は左上の文章に書かれているようですが、いくつかの文字がわかるだけで判読できません。見出しは「相談が整ひ相」と読めるので、縁談が整って鰹節は結納の品と推定してみました。

 
 江戸時代には、結婚の申し込みを「言入(いいいれ)」といい、言入のしるしが現在の結納でした。『女重宝記(おんなちょうほうき)』(1692)は、元禄時代の若い女性の心得をまとめたもので、その中に「嫁取言入ならびに日取の事」の項目があります。言入のしるしに男の方から女の方へ贈る品として、小袖二つに熨斗鮑と鰹節を添へ、樽は五荷五種か三荷三種とあります。一荷は天秤棒で担う前後二つをいい、五荷で酒の一斗樽を十樽、五種は肴五種で、昆布・するめ・塩鯛・串鮑・鰹節です。
 これは上流の家の例で、下流では酒は手樽に少額のお金、木綿を二反に肴はごまめとありますから、元禄も格差社会だったようです。

 鰹節は「勝男武士」に通じる縁起物として武家階級に喜ばれ、祝儀の贈答品として用いられるようになったといわれています。
 また、北条氏綱が天文6年(1537)に鰹釣を見に小田原沖に舟を出したとき、1尾の鰹が舟に飛び込んだので、勝つ魚
(うお)が飛び込んだと喜び、その後出陣の酒肴に鰹節を用いるようになったという話もあります。
 
 鰹節は高価な食品でしたが、美味で保存がきき、薬効があり、江戸時代には携帯食、保存食としても用いられました。とくに戦時の兵糧として鰹節は、乾飯、焼塩、味噌と共に必需品とされていました。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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